2020年 09月 06日
距離と遮断を超越する自然/諏訪綾子展「記憶の珍味」中断後バージョン
こんばんは。ハーバルセラピストの黒井ゆりです。
本日、銀座の資生堂ギャラリーで「記憶の珍味」諏訪綾子展を拝見(体験)してまいりました。
同展示は、本来の開催期間中に休廊、展示中断を余儀なくされ、今回はいわば「コロナ後バージョン」となって再開。
(中断前の展示を拝見した際の記事はこちら「脳内の匂い倉庫を探る/諏訪綾子展「記憶の珍味」)
そのため、展示内容や鑑賞の方法など、全て感染症拡大予防対策を踏まえたものに変更されていました。観賞は完全予約制です。
この変更手法が実に『お見事!』としか言いようが無く、あまりの素晴らしさに、ワタクシはリアルに腰を抜かしてしまったのであります…
地下のギャラリーへ向かう階段手前で、アロマでいうところの「樹木系の香り」を総動員したかのような匂いが漂ってきます。
森林浴どころではありません。マスクをしていてもはっきりと感じる力強い香り。
樹木のエッセンスそのもののような香りに誘われ、会場へ足を運びます。
「展示されている香り」は全部で8種類。
樅(モミ)等の枝でしょうか。束ねて吊るされた立派な枝ぶりの樹木が香りの媒体です。様相はいずれも変わりありません。
だから、視覚は香りのヒントにはならないこともあり、どの香りも同じように感じてしまい戸惑いました。
こんな時、まるで耳を澄ますかのように香りを聴きとろうとするものなのですね。
マスクの装着時間が長い日々が続いており、香り、嗅覚に集中する機会が減った中で、都市生活では感じられない幾層もの深緑色の匂い。
この刺激に誰しも一瞬、頭が混乱するのではないでしょうか。
気になる香りを1つ選び、とある方法でじっくり香りを感じ、静かに想いを巡らせます。
そう、ここで「記憶の珍味」をとことん味わうのです。それから、その香りのメッセージに目を通します。
何故か良い香りだなぁと感じたものではなく、なんだろう?とひっかかった香りを選びました。
多くの人に好まれそうな、いわゆる良い香りの類ではありません。何にも媚びない強くクセのある香りの中に、かすかですが確かな爽快さ。ごくわずかな甘みの意外に優しい余韻。
心惹かれたこの香りこそ、今のワタクシが追い求めている在り方そのものなのではないかしら?
そしてまた、ワタクシにとっての広義の自然そのものの記憶なのではないかしら?
香りやメッセージから受けたインパクトに加え、今の状況下での制限を逆手に取るような見事なアイディアに強く感銘を受け、暗がりで涙が溢れてしまいました(暗くて良かった)。
感銘のあまり、しまいには腰が抜けたようになり、ギャラリーの階段の手すりにつかまりながらヨロヨロと退出(はずかしい)
これは、幾層もの深緑色の香りが、距離も遮断もゆうに超越し、ワタクシに直接、濃厚に接触したからなのでしょう。
鈍っていた部分にダイレクトに刺激を受け、まさにシビれてしまった状態です…
諏訪綾子さんの提示する「記憶の珍味」を味わう行為で、脳の奥底に無限に広がる自身の自然に足を踏み入れ、掻き分け、むさぼるような体験に至ったような気がしました。
そして、「記憶の珍味」は、今だからこそなお一層はっきりと気付かせてくれたのです。
感じることは生の実感をもたらし、生きることは感じ続けることであると。
大変に大変に素晴らしい展示です。
言葉では伝えきれません。
どうか皆様も、記憶の珍味をじっくりと味わってみてください。
本日、銀座の資生堂ギャラリーで「記憶の珍味」諏訪綾子展を拝見(体験)してまいりました。
同展示は、本来の開催期間中に休廊、展示中断を余儀なくされ、今回はいわば「コロナ後バージョン」となって再開。
(中断前の展示を拝見した際の記事はこちら「脳内の匂い倉庫を探る/諏訪綾子展「記憶の珍味」)
そのため、展示内容や鑑賞の方法など、全て感染症拡大予防対策を踏まえたものに変更されていました。観賞は完全予約制です。
この変更手法が実に『お見事!』としか言いようが無く、あまりの素晴らしさに、ワタクシはリアルに腰を抜かしてしまったのであります…
森林浴どころではありません。マスクをしていてもはっきりと感じる力強い香り。
樹木のエッセンスそのもののような香りに誘われ、会場へ足を運びます。
「展示されている香り」は全部で8種類。
樅(モミ)等の枝でしょうか。束ねて吊るされた立派な枝ぶりの樹木が香りの媒体です。様相はいずれも変わりありません。
だから、視覚は香りのヒントにはならないこともあり、どの香りも同じように感じてしまい戸惑いました。
こんな時、まるで耳を澄ますかのように香りを聴きとろうとするものなのですね。
マスクの装着時間が長い日々が続いており、香り、嗅覚に集中する機会が減った中で、都市生活では感じられない幾層もの深緑色の匂い。
この刺激に誰しも一瞬、頭が混乱するのではないでしょうか。
そう、ここで「記憶の珍味」をとことん味わうのです。それから、その香りのメッセージに目を通します。
何故か良い香りだなぁと感じたものではなく、なんだろう?とひっかかった香りを選びました。
多くの人に好まれそうな、いわゆる良い香りの類ではありません。何にも媚びない強くクセのある香りの中に、かすかですが確かな爽快さ。ごくわずかな甘みの意外に優しい余韻。
心惹かれたこの香りこそ、今のワタクシが追い求めている在り方そのものなのではないかしら?
そしてまた、ワタクシにとっての広義の自然そのものの記憶なのではないかしら?
香りやメッセージから受けたインパクトに加え、今の状況下での制限を逆手に取るような見事なアイディアに強く感銘を受け、暗がりで涙が溢れてしまいました(暗くて良かった)。
感銘のあまり、しまいには腰が抜けたようになり、ギャラリーの階段の手すりにつかまりながらヨロヨロと退出(はずかしい)
これは、幾層もの深緑色の香りが、距離も遮断もゆうに超越し、ワタクシに直接、濃厚に接触したからなのでしょう。
鈍っていた部分にダイレクトに刺激を受け、まさにシビれてしまった状態です…
諏訪綾子さんの提示する「記憶の珍味」を味わう行為で、脳の奥底に無限に広がる自身の自然に足を踏み入れ、掻き分け、むさぼるような体験に至ったような気がしました。
そして、「記憶の珍味」は、今だからこそなお一層はっきりと気付かせてくれたのです。
感じることは生の実感をもたらし、生きることは感じ続けることであると。
大変に大変に素晴らしい展示です。
言葉では伝えきれません。
どうか皆様も、記憶の珍味をじっくりと味わってみてください。
by black22-lily5
| 2020-09-06 23:01
| 香り